北杜アートプログラムが開幕いたしました。


永山祐子

森の中に佇んで周りを見あげる体験、そんな体験を切り取ったようなテントを考えた。白樺林の中に置かれた3つの雫型の透明テント。木の位置など周囲環境を3Dスキャンして枝の向きや葉の広がりなども考慮しながらテントの大きさ、高さ、位置を決めていった。起き上がり小法師のように様々な方角を向くテント、その表面に周囲の緑が映る。

長谷川豪


アウトドア用のテントは自然豊かな場所に設営するものであるにも関わらず内部は閉鎖的で自然との関わりが薄いため、大地と近いテントならではの人間と自然の関係について考えた。気に入った草花を見つけたら、それをそっと包み込むように透明の柱を立ててテントを張る。そこにあった自然と一晩だけ一緒に過ごすことができる、大地を切り取るテント。

谷尻誠


この作品は「モバイル」という言葉を「可逆性」と「簡易性」という 2 つのキーワードから再解釈し、自然の中で循環する建築である。建築の構成は大地を構成させる「石」を使用している。自然の循環の中で、大地が隆起するかのようにして構築され土地に根付き、風化するかのように解体され自然に還っていく。そこでは、大地を最大限感じる体験としてサウナの機能を入れ込み空間体験を行う。

藤村龍至


脱東京・遊牧民の包
伊東豊雄が1985年に発表した「東京遊牧少女の包」に立ち戻り、大都市(Metoropolis)のインテリアから超都市(Hyper Village)の里山に飛び出し内 向きに個に閉じる「包」から多様性を包むそれへと進化させる、現代の遊牧民のためのテントを考えた。内側から膨らむように自立するフレームの外側を、立体裁断によって洋服のようにそのかたちを定められたテント生地が少しルーズに包むことで、半分閉ざし半分開いたクロープン (Clopen)な空間をつくり、寝るためではなく、過ごすためのテントを作ろうとした。かつて家具の延長として構想された遊牧民のための包は、時を経て、服や家の延長としての「脱東京・遊牧民の包」として再定義された。

重松象平



1枚の正方形マット。衣服とテントの中間にあるくらいの領域を定義する。自由に折り曲げることができる構造体のない素材とシンプルに各点を留めるシステムによって多様なパーソナルスペースを象ることができる。プリミティブなものから彫刻的なものまで、使うひとの身体性や用途がかたちとなって表現される。パンデミックで集団や個人領域が再考される中、生き物が本能的に巣をつくったり、子供が布団で基地をつくったりするように、自分の環境をつくる原点や楽しさを感じることができるものを提案したかった。

島田陽


《円と三角》
自然の中で快適に過ごせるハンモックのようなテントを考えた。円形を二つ折りしたフレーム内に正三角形の筒を吊って地面から少しだけ浮かせ、凹凸のある土地でも快適に過ごせる。遊戯性とともに自分や他者の身体を感じることが出来る、ゆらゆらと揺れる幾何学的なオブジェのようなテントだが、紐によって固定したり、インナーテントやアウターテントで、より居住性を高めることも出来るよう考えている。

河瀨直美


映像作品展示
世界的映画監督である河瀨直美による新作の撮り下ろし映像を初公開

ずっともっとそれを見つめていたい。

くりかえし、くりかえし、つながって、つづいてゆけばいいのに。

水や風や葉や光や・・そんなものたちが、今、この瞬間の、美しさを放つ。

そうしてまたやってくる「今」と出逢う。

命はくりかえし、時を刻んで次にゆく。

もう、さっきの「今」は無く、さっきの自分もいない。

山田宗徧


映像作品展示
作品タイトル:《手なりの美しさ 先にお茶始めていてください》

長場雄


主催者側から唯一与えられた「アートの境界線と欠界」という言葉を受けて、長場の二つの肩書きである「イラストレーター(イラストレーション)」と「アーティスト(アート)」の「境界線」に焦点を当て、片方に存在し、片方に存在しないと想定される「搬入」を題材にする。搬入が行われる不安定な空間は、その両者の「間」にある曖昧なボヤけた空間でもあるだろう。

田所淳


《Consonance and Dissonance》
作品は4つの映像から構成される。その色彩と形態によるハーモニーは協和的なものから不協和なものへと揺らぎながら絶えず変化し続ける。それぞれの映像が互いにその調和的な構造へ介入して混沌の中からまた秩序が生まれてくる。緊張と弛緩のくり返しは様々な意思や思考を映しながらその先の新たな次元の調和へと導かれていく。

藤元翔平



本作品では、半球の形をしたスカルプチャーに、レーザーとプロジェクターそれぞれから出力される異なる性質の光を照射している。照射される光の形状は、一定の物理的圧力によって形状維持するスカルプチャーの内側に存在する反射の性質によって、曲線、曲面を描くように歪み、変容しながら出現と消失を繰り返し、一種の生命体のように振る舞う。

HUMAN AWESOME ERROR


《Super Cell》
切りはなしても生き続ける驚異の細胞、私たちは実際に罹患した癌細胞を指して、Super Cellと名付けた。彼らは、再生医療の可能性だけでなく、生命の所有権と新しい倫理観を人間社会に問いかける。
序章として、医療関係者や研究者ではない一市民がSuper Cellを所有し始めるまでのプロセスを伝えていく。

《工藝族車》
人類史上、ヒッタイトが鉄を使い始めて5000年、ダイムラーが最初のオートバイを発明して130年、そんな鉄で作られたエンジンも過去の技術となろうとしている。日本では暴走族が身体拡張の道具として機能を拡張し、様式美を作った。斜陽となった今もなお続く営みを死にかけた工芸技法で刷新したこの機械は、日本人の審美性を暗示する一つ遺跡となるだろう。

脇田玲

For Alan and Keith
性的マイノリティとして異なる時代を生きた二人の天才、アラン・ チューリングとキース・ヘリングの時を超えた対話の場を作ろうと考えました。ヘリングのドローイングへの数学的な再解釈、ホモフォビアからLGBTへと変化してきた多様性の議論の変遷など、副次的なメッセージも込めて作品を作りました。

SIDE CORE



《Imaginary Collection 1》
今回の展示ではSIDE COREのメンバーの家か、スタジオを模した架空の部屋が作られ、鑑賞者はそのプライベートな空間を覗き込み作品を鑑賞することができます。記憶の部屋とも言えるその空間では、覗き込む角度や見える作品の組み合わせによって、異なる意味が与えられています。
SIDE COREはストリートアートに関するリサーチをベースにしたプロジェクトを展開している経緯から、歴史的な資料としてキースヘリングの作品、その後の時代を作った様々なアーティスト達の作品、そしてかつてのキースのように現代の路上で活躍する10代のアーティスト達の作品までが収集されており、時代や場所を超えた物語をコレクションは紡ぎます。キース・ヘリングの脳内を覗き込むようなこの美術館で、SIDE COREが見ている「その後の物語」に触れてみてください。